ベトナムで現在策定が進められている「人工知能法(AI法)」の施行細則をめぐり、国内の業界団体や企業が相次いで規制緩和を求める声を上げている。焦点となっているのは、AIが生成・編集したコンテンツに対する「ラベル表示義務」と、「高リスクAIシステム」の分類範囲の2点だ。企業側は、現行の政令草案が定める規制範囲が過度に広く、コンプライアンスコストの増大やイノベーションの停滞を招きかねないと強く警告している。
民間経済研究委員会が企業の声を集約
ベトナム政府直属の民間経済発展研究委員会(通称「第4委員会(Ban IV)」)は、科学技術政策・イノベーション・デジタルトランスフォーメーション(DX)に関する企業の困難や障害を取りまとめた報告書を公表した。この報告書は、民間経済の発展に関する共産党中央委員会決議第68号(Nghị quyết số 68-NQ/TW)の実施状況を迅速に反映する目的も兼ねている。第4委員会は、首相に対して民間セクターの課題を直接提言できる諮問機関として知られ、ベトナムのビジネス環境改善において重要な役割を果たしてきた。
争点①:AIコンテンツへのラベル表示義務
企業や業界団体が最も強く問題視しているのが、AI生成コンテンツに対するラベル表示と通知表示の義務規定である。政令草案の第19条第1項では、「展開者(AIシステムを活用してサービスを提供する事業者)は、AIシステムが生成または編集したコンテンツを公衆に提供する際、通知およびラベル表示を行う責任を負う」と定められている。具体的には、(1)実在する人物の外見や声を模倣・シミュレーションしたコンテンツ、(2)実際の出来事や現象を再現・模倣し、受け手に真正性について誤解を与える可能性のあるコンテンツ――の2つのケースが対象となっている。
これに対して企業側は、まずラベル表示義務そのものの撤廃を提案。仮にこの規定を維持する場合でも、適用範囲を「高リスクAIシステム」が生成・編集したコンテンツに限定し、医療、安全保障、国防といった分野、とりわけ人の健康・生命や国家安全保障に影響を及ぼす可能性のあるシミュレーションコンテンツのみを対象とすべきだと主張している。
企業側の論拠は明快である。AIが生成・編集するあらゆるコンテンツにラベル表示を義務付ければ、実際のリスクレベルを超えた「一律管理」のアプローチとなり、AI法が本来掲げる「リスクレベルに応じた管理」の精神から逸脱するというものだ。さらに、広範なラベル表示義務はコンプライアンスコストと法的リスクを増大させ、特に中小企業にとってはAI活用の意欲を大きく削ぐ結果になりかねないと警鐘を鳴らしている。
興味深い指摘として、規制範囲が広すぎるとラベル表示の「警告としての意味」が希薄化し、AI要素を含む製品・サービス全般に対する偏見を生む可能性があるという懸念も示された。AIがコンテンツ制作、メディア、ビジネスにおける支援ツールとしてますます普及している現状を踏まえれば、この指摘は的を射ていると言えよう。
争点②:高リスクAIシステムの分類範囲
もう一つの大きな論点が、「高リスクAIシステム」のカテゴリー分類である。現在の政令草案では、以下の分野が高リスクAIシステムの対象として列挙されている。
・医療・ヘルスケア
・金融・銀行
・採用・人事管理
・教育・研修
・治安・秩序・司法
・交通運輸
・重要技術インフラ
・行政管理・公共サービス
企業側はこの広範な分類に異議を唱え、高リスク管理体制の適用を、人の生命・健康に直接かつ深刻な影響を与える可能性のあるAIシステム――具体的には医療機器、診断・治療に関するシステム、および国家安全保障・社会秩序・司法活動に関連するシステム――に限定すべきだと提案している。
金融・銀行、採用・人事管理、教育・研修といった分野については、すべてのAIシステムを一律に高リスクに分類するのではなく、ビッグデータの取り扱いや国家安全保障に関わる特定のケースのみを切り出して管理対象とすべきだという立場だ。
企業側はその理由として、金融、企業管理、人事、教育といった民事・商業分野のAIシステムは主に企業の生産性向上と競争力強化を目的としており、公共レベルで深刻な社会的リスクを自動的に生み出すものではないと説明。これらの分野すべてに高リスク管理体制を適用すれば、公共利益の保護に必要な範囲を超えて規制が拡大してしまうと指摘している。
加えて、これらの分野はベトナムの国家DX推進において「重要な柱」と位置付けられている。すべてのAIシステムを高リスクに分類すれば、企業はより厳格なコンプライアンス義務への対応を迫られ、市場参入コストの増大、AI製品の商用化の遅延、そしてイノベーション活動に対する萎縮効果を招く恐れがあるとの懸念が示された。
背景:ベトナムAI規制の国際的文脈
ベトナムのAI法制定の動きは、世界的なAI規制の潮流と軌を一にしている。欧州連合(EU)が2024年に施行した「AI法(AI Act)」はリスクベースのアプローチを採用し、世界のAI規制の先行モデルとなった。ベトナムの政令草案もこのリスクベースアプローチを基本的な枠組みとして採用しているが、今回の企業側の主張は、その運用において「リスクの定義が広すぎる」という実務的な問題を浮き彫りにしている。
ベトナムは近年、AI分野での急速な成長を見せており、FPTグループやVinAI(ビングループ傘下のAI研究開発企業)をはじめとする国内企業がAI技術の研究開発・商用化を積極的に推進している。また、多くの日本企業や欧米企業がベトナムをAI開発・BPOの拠点として活用しており、規制の行方はベトナムに進出する外資系企業にとっても大きな関心事となっている。
日本企業への影響と今後の見通し
ベトナムでAI関連事業を展開する日本企業にとって、今回の規制論議は決して対岸の火事ではない。ベトナムをオフショア開発やAIサービスの拠点とする日系IT企業は増加の一途をたどっており、ラベル表示義務や高リスク分類の範囲がどう決着するかは、事業コストやサービス設計に直接影響を及ぼす。特に金融、人事、教育分野でAIソリューションを提供する企業にとって、高リスク分類に伴う追加的なコンプライアンス負担は無視できない要素となるだろう。
一方で、ベトナム政府がこうした企業の声に耳を傾け、規制を現実的な方向に調整する姿勢を見せていること自体は、ビジネス環境の成熟度を示すポジティブなシグナルとも受け取れる。第4委員会という公式チャネルを通じて民間の意見が政策形成プロセスに反映される仕組みが機能している点は、ベトナムの制度的進化を示している。
今後、政令の最終版がどのような形で確定するかは、ベトナムがAI先進国を目指す上での「規制と成長のバランス」を測る重要な試金石となる。企業側の要望がどこまで反映されるか、引き続き注視が必要である。
出典: Vn Economy
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