ハノイ在住13年の現地投資家による、より深い企業分析・投資戦略は👉 メンバーシップで公開中
高コスト、未整備のインフラ、不透明な経済性——それでも中国は水素エネルギーへの投資を加速させている。「売れない」エネルギーにあえて賭ける中国の戦略は、ベトナムを含むアジア各国のエネルギー政策にも大きな示唆を与える。
「未来はここにある」——中国・水素産業の首都で見た現実
広東省仏山(フォーシャン)市南海区。ここは中国における「水素産業の首都」と称される地域である。鮮やかなブルーの水素燃料バスが公道を走り、車体には「未来はここにある(未来已在此)」という野心的なスローガンが掲げられている。南海区は水素エネルギーの普及を率先して推進してきた地方自治体の一つであり、公共交通や物流に水素燃料車両を積極的に導入してきた。
しかし、その「未来」は理想通りには進んでいない。現地の水素ステーションでは、3基の給油ポンプがあるにもかかわらず、1時間の間に訪れた車両はゼロ。唯一やって来たのは、管理人に昼食を届けに来た電動バイクの配達員だけだった。ステーション責任者の謝林輝氏によると、現在の消費量は損益分岐点に必要な1日2トンの半分にも満たない。稼働が良い日でも、給油に訪れるのは60〜70台程度で、その大半は公共バス、清掃車、物流トラックといった公的セクターの車両である。
コスト高とインフラ不足——水素エネルギーの「構造的ボトルネック」
水素経済という構想自体は、1970年代の石油危機にまで遡る。水素は燃焼時に温室効果ガスを排出しないクリーンな燃料であり、長年にわたり「未来のエネルギー」と期待されてきた。しかし半世紀を経た今なお、主流のエネルギー源にはなり得ていない。最大の理由はコストである。
従来の水素製造は天然ガスや化石燃料を原料とする「グレー水素」が主流で、製造過程でCO2を排出するため環境面でのメリットが限定的だ。一方、再生可能エネルギー由来の電力で水を電気分解して製造する「グリーン水素」は排出ゼロだが、製造コストが非常に高い。
中国では現在、水素の価格は1キログラムあたり35人民元以上が一般的である。中国政府は2026年3月16日、パイロットプログラムを発表し、2030年までに水素価格を25人民元/kg以下に引き下げる目標を掲げた。しかし現時点では、EV(電気自動車)と比較した際の経済性の差は歴然だ。南海区のバス運転手によれば、水素バスの運行コストはEVバスより1日あたり200〜300人民元も高い。「水素は非常に高い」と運転手は率直に認めている。
こうしたコスト面の課題に加え、中国メディアの報道によると、南海区の水素バスの約半数は、高い運行コストと乗客減少を理由にすでに運行を停止しているという。国の支援と地方政府の補助に依存するビジネスモデルには、早くも限界が見え始めている。
FCEV普及の遅れ——中国だけでなく世界的な課題
中国は当初、水素燃料電池車(FCEV)の普及を水素戦略の中心に据えていた。しかし、2025年末時点でのFCEV保有台数は約4万台にとどまり、目標の5万台に届いていない。2030年の目標も、2016年時点の「100万台」という野心的な数字から「10万台」へと大幅に下方修正された。
この苦戦は中国だけの現象ではない。日本でもFCEVの販売台数は2021年から2025年にかけて83%減少し、水素ステーションの数も10%減少している。グローバルでは、2030年までの低排出水素の生産能力見通しが、プロジェクトの延期・中止を受けて2025年に約25%下方修正された。その多くがグリーン水素関連プロジェクトである。
それでも中国が投資を続ける理由——「長期的賭け」の論理
短期的な採算性が見通せない中、なぜ中国は水素への投資を加速させるのか。その答えは「脱炭素の長期戦」にある。
鉄鋼、化学、長距離輸送といった分野は電化(電動化)が技術的に困難な「難削減セクター」と呼ばれ、水素はこれらの分野で排出削減を実現できる数少ない手段と目されている。中国エネルギー・大気汚染研究センター(CREA)の研究員、沈新怡氏は「短期的な経済効率が低くても、長期的な脱炭素需要に備える強い動機がある」と指摘する。
中国の第15次5カ年計画では、水素は核融合エネルギー、量子技術、ブレイン・コンピュータ・インターフェースと並ぶ「7大先端産業」の一つに位置づけられた。北京はこれを「未来産業」と捉え、長期的な成長エンジンとなり得ると見ている。
中国の強みは、再生可能エネルギーの圧倒的な拡大ペースにある。2025年、中国が新規に導入した太陽光発電・風力発電の容量は、世界のその他すべての国の合計を上回った。この豊富な再エネ電力を使って水の電気分解を行えば、グリーン水素のコストを劇的に引き下げられる可能性がある。内モンゴル自治区などではすでにグリーン水素の大規模生産施設が建設されている。
厦門大学(アモイ大学)中国エネルギー政策研究院の林伯強院長は「風力・太陽光発電が極めて安価になり、かつ規模が極めて大きくならなければ、水素エネルギーは本当の意味で成り立たない」と条件を示しつつも、中国がその条件を満たしつつあることを示唆している。
また、中国は水素を応用した産業利用にも軸足を移し始めている。具体的にはグリーンアンモニアの製造で、肥料原料や船舶燃料としての活用が見込まれている。これは従来のFCEV偏重戦略からの明確な転換である。
アジア社会政策研究所・中国気候センターの李碩所長は、太陽光や風力で成功を収めた中国が「次の戦場」に進出しようとしていると分析し、「グリーン水素のビジネスモデルは、2020年代でなければ2030年代には確立されるだろう。この分野で先行することで、市場が成熟した段階で優位に立てる」と述べている。さらに同氏は「中国は十分な規模を持つ国であり、複数の方向に同時に賭けることができる。そしてその賭けが実を結ぶこともある」と付け加えた。
ベトナムへの示唆——再エネ拡大と水素戦略の交差点
この中国の動向は、新たなエネルギー戦略を構築中のベトナムにとっても重要な参照点となる。ベトナムは太陽光・風力発電の急速な拡大を進めており、エネルギーの貯蔵や長期的な脱炭素ソリューションへのニーズが高まっている。水素は、再エネの不安定さ(太陽光・風力は発電量が天候に左右される)を補う長期エネルギー貯蔵手段としての可能性も持っており、ベトナムのエネルギーミックスにおいても今後議論が本格化する可能性がある。
投資家・ビジネス視点の考察
今回のニュースは直接的にベトナム株式市場の個別銘柄に影響を与えるものではないが、いくつかの重要な示唆がある。
第一に、中国の水素関連サプライチェーンの拡大は、ベトナムの製造業にも波及し得る。電解槽(エレクトロライザー)や燃料電池のコンポーネント製造が中国からベトナムへ移管される可能性は、中長期的な投資テーマとして注目に値する。
第二に、ベトナムのエネルギーセクター全体にとって、中国の再エネ拡大とグリーン水素のコスト低下は追い風となる。ベトナムでも再エネ関連銘柄(風力・太陽光発電事業者、送電インフラ関連企業)は、脱炭素の国際潮流の中で中長期的な成長期待がある。
第三に、日本企業にとっては、FCEVや水素ステーションの国内市場縮小が改めて浮き彫りになった点が重要である。トヨタをはじめとする日本の水素関連企業が、東南アジア(ベトナム含む)での新たな市場開拓を模索する動きが今後強まる可能性がある。
第四に、2026年9月に見込まれるベトナムのFTSE新興市場指数への格上げとの直接的な関連性は薄いが、ベトナムがクリーンエネルギー戦略で国際的な評価を高めることができれば、ESG投資の観点からも海外資金流入の追加的な材料となり得る。
水素エネルギーは現時点では「投資妙味のある市場」とは言い難い。しかし、中国という巨大経済がこの分野に本腰を入れて投資を続ける限り、関連技術のコスト低下と市場形成は時間の問題でもある。ベトナムを含む東南アジア各国がこの波をどう取り込むかが、今後のエネルギー政策・投資戦略の重要な論点となるだろう。
いかがでしたでしょうか。今回のニュースについて、皆さんのご意見もぜひお聞かせください。コメント欄や@viettechtaroのDMでお待ちしています。
この記事が参考になったら、ぜひXでシェアしていただけると嬉しいです。より多くの方にベトナム投資の魅力を伝えたいと思っています。
ハノイ在住13年日本語で毎日配信。
✅ 個別銘柄の詳細分析 ✅ FTSE格上げ関連速報 ✅ 現地だからわかるリアルタイム情報
👉 月額980円でメンバーシップに参加する
出典: 元記事












コメント