中東地域の武力衝突を背景に国際エネルギー市場が混乱し、ベトナム国内のガソリン価格がわずか数日間で約45%も急騰するという異例の事態が発生した。物流コストの急激な上昇が懸念されるなか、ホーチミン市では運賃を引き上げた運輸事業者は全体のわずか18.5%にとどまっていることが明らかになった。電動バスや電気タクシーの普及が進む同市の交通事情が、化石燃料価格の高騰に対する「緩衝材」として機能している構図が浮かび上がる。
ガソリン45%、軽油59%――異例の連続値上げの背景
2026年3月12日、ホーチミン市の経済・社会情勢に関する記者会見において、同市建設局(Sở Xây dựng)が最新の運輸市場動向を報告した。それによると、中東地域での武力衝突が世界のエネルギー市場に波及し、ベトナム国内では2026年3月5日、7日、10日と立て続けに燃料価格の引き上げが実施された。2026年2月末時点と比較して、ガソリン価格は約45%、軽油(ディーゼル)価格は約59%もの上昇を記録している。
ベトナムは石油の純輸入国であり、国内燃料価格は国際原油価格の動向に大きく左右される。とりわけ中東情勢が緊迫化すると、紅海(Red Sea)やスエズ運河、ホルムズ海峡といった国際海上輸送の要衝が影響を受け、原油の供給不安が一気に高まる。今回の価格急騰も、まさにこうした地政学リスクが直接的に反映された結果である。
運賃値上げは97社中わずか18社
運輸事業者の経営に与えるインパクトは大きい。一般的に、運輸会社の運営コストに占める燃料費の割合は25%~35%とされており、今回のような大幅な燃料価格の上昇は収益を直撃する。
しかし、ホーチミン市建設局の集計によれば、2026年3月11日時点で運賃の値上げを届け出た運輸事業者は97社中18社(約18.5%)にとどまった。値上げが確認されたのは102の旅客固定路線で、値上げ幅は路線や事業者によって異なるが、おおむね5%~36%の範囲に収まっている。
注目すべきは、ベトナム最大級の長距離バス会社であるフォンチャン(Phương Trang)FUTA Bus Linesが、省間長距離バス路線および貨物輸送サービスの双方において、この期間中に運賃の値上げを行っていないという点である。フォンチャンはホーチミン市を拠点に全国的な路線網を持つ大手であり、同社の価格据え置き方針は市場全体の運賃安定に一定の抑制効果をもたらしていると考えられる。
なお、ベトナムでは政府の政令第158/2024/NĐ-CP号および交通運輸省(現・建設省)の通達第36/2024/TT-BGTVT号に基づき、運輸事業者はコスト変動要因に応じて自主的に運賃を決定・調整する権限を有している。ただし、価格法および政令第85/2024/NĐ-CP号の規定に従い、運賃の届出・公示を行う義務がある。つまり、値上げ自体は合法だが、透明性の確保が求められる仕組みである。
電動化が進むホーチミン市の公共交通――燃料高騰への耐性
ホーチミン市の公共交通における電動化の進展は、今回の燃料危機において大きな意味を持っている。
同市では現在179の路線バスが運行されており、うち109路線が行政からの財政支援(補助金)を受けている。運行車両の総数は2,112台で、そのうち1,301台が電気バスであり、全体の約62%を占める。補助金対象路線に限れば、電気バスの比率は約65%に達する。これらの路線バスは、燃料価格急騰後も運賃を据え置いており、市民の足として安定的に機能し続けている。
電動化の波はタクシー業界にも及んでいる。ホーチミン市には現在36社、約24,000台のタクシーが営業しているが、そのうち約20,700台を運行するGSM(グリーン・アンド・スマート・モビリティ、Công ty Cổ phần Di chuyển Xanh và Thông minh GSM)は全車両が電気タクシーである。同社は市内タクシー総数の約86%を占めており、燃料価格の影響を受けないどころか、2026年3月11日から同月31日までの期間限定で運賃を10%値下げするキャンペーンを展開している。
一方、従来型の内燃機関車両を運行するビナサン(Vinasun、Công ty Cổ phần Ánh Dương Việt Nam)は約1,700台のタクシーについて11%~12%の値上げを実施した。ライドヘイリング(配車アプリ)大手のグラブ(Grab)とビー(Be)は現時点で値上げを見送っており、GSM傘下の配車サービス「サンSM(Xanh SM)」は前述の通り10%の値下げを実施中である。
この状況は、電動車両の普及が進んだ都市ほど、化石燃料価格の変動に対する交通システムの耐性が高まることを如実に示している。ホーチミン市が近年推進してきたグリーン交通政策が、図らずも燃料危機の中でその真価を発揮した格好である。
メトロ1号線と選挙日の無料乗車施策
2024年末に開業したホーチミン市初の都市鉄道であるメトロ1号線(ベンタイン~スオイティエン)についても、運賃は2024年11月21日付のホーチミン市人民委員会決定第5327号で公表された水準が維持されている。メトロは電力で運行されるため、ガソリン・軽油価格の直接的な影響を受けない。
さらに、2026年3月15日に予定されている第16期国会議員選挙および2026~2031年任期の各級人民評議会議員選挙に合わせ、ホーチミン市建設局は132の路線バス(補助金対象109路線、非対象23路線)およびメトロ1号線において、選挙当日の無料乗車を実施する予定である。選挙日の交通無料化は、有権者の投票参加を促進する施策として注目される。
貨物輸送と港湾物流への影響
旅客輸送だけでなく、貨物輸送への影響も深刻化しつつある。ホーチミン市貨物運輸協会によれば、加盟企業の輸送コストは燃料価格の上昇により約20%~25%増加している。また、一部の企業からは、ディーゼル燃料の供給が不安定な時間帯があり、ガソリンスタンドでの給油に支障が出ているとの報告も寄せられている。
港湾を経由する海上貨物輸送については、現時点では運賃の値上げは行われていないものの、中東紛争、とりわけ紅海、スエズ運河、ホルムズ海峡周辺の情勢不安定化は、世界のコンテナ輸送に影響を及ぼしている。ホーチミン市発着の米国向け・欧州向け航路も例外ではなく、今後の情勢次第では海上運賃の上昇や輸送スケジュールの遅延が現実化する可能性がある。
ホーチミン市はベトナム最大の商業都市であり、カットライ港やカイメップ・チーバイ港群を擁する同市周辺はベトナムの輸出入貨物の大部分を取り扱う物流ハブである。海上輸送コストの上昇は、ベトナムに生産拠点を持つ日系企業を含む外資系メーカーの輸出競争力にも直結する問題である。
行政の対応と今後の見通し
ホーチミン市建設局は、貨物・旅客運輸協会および各運輸事業者と連携し、市場動向を注視していると説明している。同局は各企業に対し、安定的な事業運営の維持と市民の移動・物資輸送の円滑化を要請するとともに、必要に応じてホーチミン市人民委員会に報告・提言を行う方針を示した。
今回の燃料価格急騰がどの程度の期間続くかは、中東情勢の行方に大きく左右される。短期的な価格変動であれば、多くの運輸事業者は値上げを見送る可能性があるが、高止まりが長期化すれば、残り8割超の事業者も追随せざるを得なくなるだろう。
日本企業への示唆
ベトナムに進出している日系の製造業やサプライチェーン関連企業にとって、今回の事態は複数の観点から注視すべきである。第一に、陸上輸送コストの上昇が部品調達や完成品配送のコスト増につながる点。第二に、海上輸送ルートの不安定化による納期遅延リスク。そして第三に、ベトナム国内の物価上昇を通じた人件費圧力の高まりである。
一方で、ホーチミン市が急速に進める交通の電動化は、中長期的にはエネルギー価格変動リスクの低減に寄与するポジティブな動きである。電気バスやEVタクシーの普及は、VinFast(ビンファスト)をはじめとするベトナムのEV関連産業の成長にも直結しており、日本の自動車部品メーカーやインフラ関連企業にとっても新たなビジネス機会となり得る。
燃料価格の急騰という「逆風」のなかで浮き彫りになった、ベトナムの電動化戦略の合理性と課題。今後の中東情勢とベトナム政府の対応を引き続き注視していく必要がある。
出典: Vn Economy
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