ベトナムの首都ハノイで、グリーン交通(環境配慮型交通)への転換をテーマとする国際シンポジウムが開催され、中国や日本、シンガポールなどの先行事例を踏まえた長期的かつ段階的なロードマップの必要性が、専門家の間で広く共有された。急速な都市化と深刻化する大気汚染に直面するベトナムにとって、交通分野の脱炭素化は喫緊の課題であり、今回の議論はその政策設計の方向性を示す重要な機会となった。
ハノイで国際シンポジウム開催──中国の研究機関と共催
今回のシンポジウム「グリーン交通転換の推進における国際的経験」は、ハノイ市メディア協会と中国経済戦略研究センター(CESS)の共催で開かれた。ベトナムでは近年、ハノイやホーチミン市といった大都市で大気汚染指数が危険水準に達する日が頻発しており、交通部門からの排出ガス削減が社会的な関心事となっている。世界保健機関(WHO)の調査でも、ハノイは東南アジアで最も大気汚染が深刻な都市の一つに挙げられることがあり、バイク約600万台、自動車約100万台がひしめく交通事情がその主因とされている。
中国の「三層モデル」──即時置換ではなく段階的転換
シンポジウムで基調的な見解を示したのは、CESS所長のファム・シー・タイン博士である。同氏は、中国の経験を引き合いに出しながら、グリーン交通への転換は「即座に置き換える」プロセスではなく、体系的に設計された政策ロードマップに基づき、優先順位を明確にしながら段階的・同期的に進めるべきものだと強調した。
ファム博士が提示した転換の枠組みは「三層モデル」と呼ばれるものである。第一層は、既存の内燃機関車両に対する排出ガス基準の厳格化と燃費効率の向上。第二層は、電気自動車(EV)や燃料電池車といった新エネルギー車両への移行促進。そして第三層は、スマート交通システムの構築と「MaaS(Mobility as a Service)」型の移動サービスモデルへの発展である。
重要なのは、これら三つの層を並行して推進する点にある。化石燃料車を一気に排除するのではなく、段階的に改善しつつ、新エネルギー車両の普及を同時に進めるというアプローチだ。中国では、一部の車両カテゴリーに対して5年間の転換期限が設定され、高い排出基準の適用とともに、車両ラベリング(排出等級の表示)、通行規制、駐車場管理といった「非財政的手段」も組み合わせて運用されている。
公用車・都市サービス車両から優先転換──対象の「階層化」戦略
ファム博士がもう一つ強調したのが、転換対象の「階層化(分層)」アプローチである。中国では、公用車や都市サービス車両(バス、タクシー、清掃車など)を最優先で新エネルギー車両に完全転換する方針が採られている。これらは政府や自治体が直接管理・調達できるため、政策の実行性が高いためだ。
一方、個人所有の車両については、技術選択を誘導する政策が取られている。純粋な電気自動車(BEV)と燃料電池車(FCEV)、そしてハイブリッド車(HEV)が推奨される一方、プラグインハイブリッド車(PHEV)については環境効果が不明確な場合には制限される。実際に中国では、PHEVが結局ガソリンエンジンで走行する割合が高いとの調査結果もあり、補助金政策の見直しが進んでいる。
また、政策の適用範囲は都市空間に応じて柔軟に調整される。都心部では化石燃料車の通行を先行して制限し、電気自動車は郊外から都心へと段階的に普及を促すという「空間的グラデーション」の手法が採用されている。北京や上海など中国の大都市では、すでにナンバープレートの取得制限やEV優遇レーンの設置など、こうした空間的政策が実施されている。
政策とインフラの「同期」が成否を決める
ファム博士は、転換プロセスの成否を左右する最大の要因として、政策とインフラの同期を挙げた。電気自動車の普及は、充電ステーション網の整備、統一された技術規格、そして15〜20年にわたる長期的な都市計画が伴って初めて効果を発揮するという。資源は段階ごとに集中配分し、薄く広く散らすことを避けるべきだとも指摘した。
さらに、補助金や減税といった財政的手段だけでなく、技術基準の策定、都市計画への組み込み、通行許可制度の整備といった非財政的手段を併用する必要性が強調された。中国では、新エネルギー車両の購入補助金が2022年末に打ち切られたが、それまでに市場が十分に成熟していたため、販売台数は減少するどころかむしろ増加を続けている。これは、補助金だけに頼らない多層的な政策設計の成果といえる。
ファム博士は最終的に、効果的な転換戦略に必要な5つの要素を提示した。すなわち、①国家レベルの総合計画、②長期的なロードマップ、③明確な排出削減目標、④制度・財政・インフラ・意識の各面での準備態勢、⑤優先すべき車両カテゴリーの的確な選定──である。
日本・ドイツの「慎重なアプローチ」とシンガポールの「スマート管理」
産業政策の観点からは、ハノイ国家大学経済大学の講師であり、国連工業開発機関(UNIDO)のコンサルタントも務めるグエン・ティ・スアン・トゥイ氏が発言した。同氏は、グリーン交通への転換を、ベトナム国内の自動車・バイク産業の発展戦略全体の中に位置づける必要があると主張した。
日本とドイツの事例が引き合いに出された。両国はいずれも、電動化の推進において慎重なアプローチを維持しており、その背景には国内自動車産業の競争力維持と雇用保護という明確な動機がある。日本ではトヨタを筆頭にハイブリッド技術を軸とした「全方位戦略」が採られ、ドイツではフォルクスワーゲンやBMWがEVシフトを進めつつも、内燃機関の段階的縮小に時間をかけている。ベトナムにとっても、自国の産業基盤を損なわない形での転換設計が不可欠であるという示唆に富む指摘である。
一方、シンガポールの事例は異なるアプローチとして紹介された。同国は、個人の車両所有を単に制限するのではなく、スマート交通システムを活用して車両の「使用」を効率的に管理することに重点を置いている。電子道路課金(ERP)システムやリアルタイム交通情報の活用により、インフラの最適利用、渋滞緩和、排出ガスの効果的な制御を実現しているという。国土面積が限られ、都市計画が高度に発達したシンガポールならではのモデルだが、ハノイやホーチミン市の都心部にも部分的に応用可能な要素が含まれている。
ベトナムの現状と課題──「世界の潮流」をどう自国に適合させるか
ハノイ市メディア協会のファム・ティ・タイン・ハー会長は、多くの大都市で環境汚染が深刻化しており、交通分野の排出削減政策は緊急の要請であると述べた。グリーン交通への転換は長期的な解決策であり、公共交通の発展と並行して進めるべきだという認識が示された。
シンポジウムの参加者は、グリーン交通の発展が世界的に不可逆的な潮流であるという点で一致した。しかし同時に、国際的な経験をベトナムに適用する際には、同国の経済・社会条件、インフラ整備状況、発展方針に合わせた調査・調整が不可欠であり、実現可能で効果的かつ持続可能な長期的ロードマップの策定が求められるとの結論に至った。
ベトナムでは、ビンファスト(VinFast、ベトナム初の国産自動車メーカー)がEV事業を積極的に展開しており、2025年にはベトナム国内でのEVタクシー事業も拡大している。一方で、充電インフラの整備は依然として大都市に偏っており、地方部では皆無に等しい状況だ。また、ベトナムの電源構成は石炭火力への依存度が依然として高く、「EVを走らせる電力がクリーンでなければ、本当の意味でのグリーン交通とは言えない」という根本的な課題も残されている。
日本企業への示唆──ベトナムの交通グリーン化は巨大なビジネス機会
今回のシンポジウムの議論は、日本企業にとっても見逃せない内容を含んでいる。ベトナムがグリーン交通への転換を本格化させれば、充電インフラの整備、スマート交通システムの導入、公共交通車両の電動化といった分野で膨大な需要が生まれる。日本企業が強みを持つハイブリッド技術、バッテリー管理システム、交通管制技術などは、ベトナム市場で大きな競争力を発揮し得る。
また、ベトナム政府が「即時置換」ではなく「段階的転換」を志向していることは、内燃機関関連の部品サプライチェーンを持つ日系企業にとって、急激な事業環境の変化を回避できる可能性を意味する。一方で、中国メーカーのEVや電動バイクがベトナム市場に急速に浸透している現実もあり、日本企業には戦略的なスピード感が求められる局面でもある。
ベトナムの交通グリーン化は、まだ政策設計の初期段階にある。だからこそ、今この時点での情報収集と関係構築が、将来の事業展開を左右する鍵となるだろう。
出典: Vn Economy
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