ベトナム経済はドイモイ(刷新)政策の開始から約40年を経て、GDPの急拡大と世界経済への深い統合を果たしてきた。しかし今、その成長モデルそのものが構造的な限界に直面している。安価な労働力、信用拡大、FDI(外国直接投資)依存という「惰性の成長」から脱却し、国家が発展の構造そのものを設計する「キエントゥック(建築=アーキテクチャ)型成長」へと舵を切れるか──。ベトナム計画投資省(現・財政省統計局)の元統計総局長であるグエン・ビック・ラム博士が、経済誌VnEconomyに寄稿した4回連載の第1回は、この根本的な問いを正面から提起するものである。
40年の「惰性の成長」が果たした役割とその限界
1990年代初頭から現在に至るまで、ベトナム経済の成長を牽引してきたのは主に3つの動力であった。第一に、国際貿易の開放による輸出拡大。第二に、外国直接投資(FDI)の積極的な誘致。第三に、国内信用(銀行融資)の大幅な拡大である。この3本柱によって、ベトナムはGDP成長率を長年にわたり高水準で維持し、貿易額のGDP比で世界トップクラスの「開放度」を誇る経済体へと成長した。
グエン・ビック・ラム博士はこのモデルを「惰性の成長(タンチュオン・テオ・クアンティン)」と呼ぶ。その本質は、投入要素の拡大に依存する成長である。労働力を増やし、資本を積み増し、信用を膨張させ、FDIを呼び込み、低コストという比較優位を最大限に活用する。これは「規模の拡大による加速」であり、「質の深化による高度化」ではない。
このモデルには3つの構造的限界がある。第一に、資本の限界効率の低下である。経済が一定の規模に達すると、追加投資が生み出す成長率は逓減する。第二に、外生的なバリューチェーンへの依存である。コア技術や最終市場が自国の管理下にない場合、国内付加価値は構造的に制約される。第三に、金融サイクルリスクの増大である。信用拡大に過度に依存する成長は、マクロ経済の不均衡を生みやすい。
日本の読者にとって馴染み深い例で言えば、ベトナムの輸出の柱であるスマートフォンや電子機器の組み立ては、サムスンやアップルのサプライチェーンの中で行われているが、設計・ブランド・基幹技術はすべて外国企業が握っている。ベトナム企業が担うのは利益率の低い組み立て・加工工程であり、代替されやすいポジションにとどまっているのが実情である。
3つのシグナルが示す「構造の天井」
ラム博士は、現行モデルが限界に近づいていることを示す3つの経済シグナルを指摘する。
第一のシグナルは「付加価値構造」である。主力輸出産業の多くで、国内調達率(ローカルコンテンツ比率)は依然として低い。設計、ブランディング、コア技術は外資企業が掌握しており、ベトナムは利幅の薄い組み立て・加工段階に留まっている。
第二のシグナルは「資本構造」である。名目GDP成長率を上回るペースで信用が拡大し続けた結果、マクロ経済の安定性に対する圧力が高まっている。信用が主要な成長エンジンとなった場合、経済は金融サイクルに過度に依存する体質となる。
第三のシグナルは「人口・労働構造」である。ベトナムの「人口ボーナス」(生産年齢人口比率が高い状態)は縮小に向かっている。労働コストの上昇により、低賃金を武器にした競争力は次第に失われる。これを技術と生産性で代替しなければ、成長の持続は困難になる。ベトナムの合計特殊出生率はすでに人口置換水準(2.1)を下回っており、日本が経験した少子高齢化の入り口に立ちつつあるとも言える。
ラム博士は強調する。「これらのシグナルは景気後退を意味するものではない。しかし、現行の経済モデルの『構造の天井』を示す警告サインである」と。さらに「経済は高度化せずとも成長できる。しかし、成長の構造を変えなければ高度化はできない」と述べ、問題の本質がGDP成長率の数字ではなく、全要素生産性(TFP)が成長の主要な牽引力になっていない点にあることを指摘した。TFPが成長を主導しない限り、遅かれ早かれ成長は天井に達する。
「設計された成長」とは何か──イスラエル、シンガポール、韓国の教訓
ラム博士が提唱する「キエントゥック型(建築型・アーキテクチャ型)成長」とは、国家が長期的な発展構造を主体的に設計するモデルである。戦略的産業の選定、資源の集中配分、エコシステムの構築、省庁横断的な政策調整を柱とする。「市場が勝者を選ぶに任せる」というアプローチとは異なり、地経学的・地政学的競争が激化する中で、国家が戦略的方向性を示す役割を重視する。
ラム博士は3つの国の成功事例を挙げる。
イスラエル:国家が起動するイノベーション・エコシステム
1990年代初頭、統合と構造改革の圧力に直面したイスラエル政府は、薄く広い支援ではなく、構造設計型のアプローチを選択した。政府系ベンチャーキャピタルファンド「ヨズマ(Yozma)」を通じて、イノベーション・エコシステムを主体的に設計した。国家が初期リスクを分担するが経営には介入せず、一定期間後に民間がファンドの政府持分を買い取れる仕組みとした。これは補助金ではなく、国内ベンチャーキャピタル市場そのものを起動させる仕掛けであった。さらに、ハイテク国防セクター、大学、スタートアップ企業の三者を緊密に連携させ、研究環境で培われたコア技術を迅速に商業化する体制を構築した。この三本柱の結合が、世界最高密度のスタートアップ・エコシステムを生み出した。
シンガポール:集中的な調整と戦略的産業計画
シンガポールは制度基盤と戦略的調整に立脚したエコシステム構築を選択した。金融、物流、ハイテクといった重点分野で戦略的クラスターを構築し、一貫して強力な国家の調整力を発揮した。透明で安定した制度環境、知的財産権の保護、低い取引コストを実現し、「制度への信頼」がグローバル資本を引き付ける基盤となった。金融、テクノロジー、物流、高付加価値サービスのエコシステムは自然発生的に形成されたのではなく、統一的な調整構造の中で運営されている。
韓国:選別的工業化と財閥の活用
韓国はイスラエルやシンガポールとは異なり、選別的な工業化戦略を採用した。基幹産業に資源を集中投下し、研究開発(R&D)と教育に大規模投資を行った。政府は信用支援と政策優遇を提供したが、輸出実績、技術向上、国際競争力の達成を条件として厳格に付した。基準を満たさない企業は支援を打ち切られた。産業クラスターでは、サプライチェーンの頂点に立つ企業、国内サプライヤー、研究機関、地方政府が一体となって機能するシステムを構築した。産業政策と企業の実力の結合が、生産性と技術的地位の飛躍的な向上をもたらした。
ラム博士はこう総括する。「この3カ国の共通点は、同じ制度モデルを採用したことではない。目的を持った発展構造を構築する能力を持っていたことである。国家の介入そのものではなく、長期的で一貫した、焦点の定まったエコシステムを設計する思考力と能力、そして発展を組織する方法論が重要なのだ。高い成長率は市場の偶然から生まれるのではなく、長期的な戦略的設計から生まれる」。
2026〜2030年──逃してはならない「転換の窓」
ラム博士は、2026年から2030年の5年間がベトナム経済にとって「蝶番(ちょうつがい)」のような決定的な時期であると位置づける。その理由は3つある。第一に、グローバルサプライチェーンが再構築の最中にあること。米中対立の激化やパンデミック後のサプライチェーン見直しにより、生産拠点の移転・分散が加速しており、ベトナムにとってはポジションを高める絶好の機会であると同時に、対応を誤れば低付加価値に固定されるリスクもある。第二に、AI・半導体技術が生産構造そのものを変革していること。第三に、グリーン転換(脱炭素化)への圧力が、企業に技術の高度化を迫っていることである。
「ベトナムが主体的に適切な経済構造を設計すれば、新たな成長サイクルを生み出せる。逆に、旧来の構造を維持し続ければ、莫大な機会費用に直面する──低付加価値の段階に固定され、他国がコア技術を掌握していくのを見ているだけになる。地経学的競争において、1サイクルの遅れは10年の遅れに等しい」とラム博士は警鐘を鳴らす。
「設計された成長」を実現するための3つの条件
ラム博士は、アーキテクチャ型成長を実現するために不可欠な3つの核心的条件を提示する。
第一に、データと動態的優位性分析に基づく戦略的優先分野の選定。流行に乗って産業を選ぶのではなく、バリューチェーンへのより深い参入可能性とTFP向上の観点から、合理的に産業を選別しなければならない。
第二に、公的財政の集中型への再構築。公共投資は「触媒資本」としての役割を果たし、波及効果を生み出し、戦略的エコシステムに民間資本を呼び込むべきである。行政区画ごとに薄く広く配分する従来の方式からの転換が求められる。
第三に、強力な省庁横断型の調整メカニズムの構築。教育政策、信用政策、税制、インフラ整備は、産業目標に沿って同期化されなければならない。同期が欠ければ政策は相互に打ち消し合い、アーキテクチャ型モデルは単発の優遇措置に矮小化されてしまう。
日本企業・投資家への示唆
この論考が示す方向性は、ベトナムに進出している、あるいは進出を検討している日本企業にとって極めて重要な意味を持つ。ベトナム政府が「惰性の成長」から「設計された成長」への転換を本格的に推進するならば、外資企業に求められる役割も変化する可能性が高い。単なる低コスト生産拠点としての活用から、技術移転、現地サプライチェーンの高度化、研究開発拠点の設置といった「深い関与」が、政策的にも商業的にもより重視されるようになるだろう。
また、ベトナム政府が戦略産業を選別し資源を集中投下する方針を明確にした場合、半導体、AI、グリーンエネルギーといった分野で新たなビジネス機会が生まれる一方、優遇の対象外となる分野では競争環境が厳しくなる可能性もある。ベトナムの政策動向を注視し、変化の波に乗る準備を進めることが肝要である。
ラム博士の言葉を借りれば、「成長速度が国家の地位を決めるのではない。その速度の背後にある構造こそが、国家の地位を作り出す」──。ベトナムが次の10年でどのような「構造」を選択するのか、その行方は日本を含むアジア経済全体の勢力図にも影響を与えるだろう。
出典: VnEconomy(Tạp chí Kinh tế Việt Nam)
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