ハノイ在住13年の現地投資家による、より深い企業分析・投資戦略は👉 メンバーシップで公開中
ベトナム商工会議所(VCCI)が、公安省が策定を進める「電子定名・認証法(Luật Định danh và xác thực điện tử)」の草案に対し、包括的な意見書を提出した。デジタル経済の基盤整備として法制化の意義は認めつつも、適用範囲の広さによる企業の過大なコンプライアンス負担、国営アプリVNeIDと民間サービスの競合リスクなど、複数の重大な懸念を表明している。
法制化の背景と意義
ベトナムでは現在、電子定名(電子ID)と電子認証に関する規定は政令(Nghị định)レベルで運用されている。しかし、デジタル経済の急速な拡大に伴い、国民と企業の権利義務に直結する事項を法律(Luật)レベルに格上げすることが不可欠との認識が広がっていた。公安省はこの方針のもと、国際経験を広く参照した政策文書を取りまとめ、各機関に意見照会を行った。VCCIはこの取り組み自体を高く評価し、「統一的な法的枠組みが、専門法令間の分散・重複を解消し、繰り返しの本人確認コストを削減し、電子取引の信頼基盤を築く」と述べている。また、「国家がプラットフォームを構築し、企業が信頼サービスの提供に参入する余地を確保する」モデルへの支持も表明した。
定名対象の範囲が広すぎる——企業が最も懸念する点
VCCIが最も強い懸念を示したのは、草案第7条・第9条・第19条に規定された定名対象の範囲である。現行草案では、製品、機器、データ、デジタル資産、場所など、ほぼすべての「実体(エンティティ)」が電子定名の対象となり、取引参加時には所有者の電子IDとの紐付けが義務付けられる。VCCIは「包括的に適用すれば、ほぼすべての通常の商取引・民事取引に定名義務が課され、膨大なコストと手続き負担が生じる」と指摘した。
特に電子商取引(EC)、小売、物流といった回転の速い業種では、リアルタイムでの紐付け維持は実務上極めて困難である。ベトナムのEC市場はここ数年で爆発的に成長しており、Shopee、Lazada、TikTok Shopなどのプラットフォーム上で日々膨大な数の取引が行われている。こうした取引一つひとつに電子定名を義務付ければ、事業運営に深刻な支障をきたしかねない。
VCCIは解決策として「リスクベース管理」の原則を明確に法文に盛り込むことを提案した。すなわち、安全保障上の必要性が高い対象にのみ定名を義務化し、それ以外は任意とする仕組みである。さらに、義務対象となる取引範囲を明確に限定し、企業が自社の義務を事前に予測できる枠組み基準を法律で定めるべきだとした。
既存のID体系との重複リスク
ベトナムの現行法制度には、すでに企業登録番号、土地区画コード、GS1準拠の商品コードなど、多数の定名コード体系が存在する。草案がこれらとの関係を明確にしていないため、コードの重複、管理の混乱、資源の浪費が生じる恐れがあるとVCCIは警告した。VCCIは、本法を「枠組み法(フレームワーク法)」と位置づけ、既存の専門分野の定名制度を適用除外とするとともに、国際標準との互換性を確保して輸出競争力を損なわないよう求めている。
VNeIDの肥大化と民間サービスへの「越境」
草案は、国家が投資したプラットフォームを企業が運営する「モデル1」と、企業が全面的に自ら構築・運営する「モデル2」の二つの枠組みを提示している。VCCIはここに構造的な不公正が潜むと率直に指摘した。モデル1において国家の役割と基準が不明確なままでは、モデル2の企業が「国家の後ろ盾を持つ」モデル1の企業と直接競争させられることになり、公平な競争環境が損なわれる。
この懸念は、公安省が開発・運営する国民向けアプリ「VNeID」の位置づけに直結する。VNeIDはもともと国民IDカードのデジタル化を主眼とするアプリだが、草案では公開電子署名の発行など、民間セクターが十分に機能しているサービス領域への拡張が示唆されている。VCCIは「VNeIDはあくまでインフラ基盤にとどめ、APIゲートウェイを開放して民間企業が活用できる形にすべきであり、商業分野で直接競合すべきではない」と提言した。これは市場の投資インセンティブを守るうえで極めて重要な論点である。
AI規制の重複回避と移行期間の延長
草案にはAI技術を定名プロセスに用いる際のリスク管理規定も含まれている。VCCIはその必要性を認めつつも、今後整備されるAI全般の法規制と整合性を取るべきであり、本法だけで独自のコンプライアンス層を設けると国内テック企業のコスト増を招くと警鐘を鳴らした。
また、草案第50条が定める18か月の移行期間についても、インフラ投資とプロセス標準化を同時に進めなければならない企業にとっては短すぎるとの見解を示した。VCCIは、義務の種類や企業規模に応じて移行期間を段階的に設定するとともに、中小企業向けの具体的な技術支援策を盛り込むよう求めている。
投資家・ビジネス視点の考察
本法案の行方は、ベトナムのデジタル経済関連銘柄に幅広く影響を及ぼす可能性がある。まず、電子署名・認証サービスを提供するFPT(ティッカー:FPT)やVNPT傘下のCA事業者にとっては、VNeIDが商業領域に進出すれば直接的な競合圧力となりうる。一方、VCCIの提言どおりAPIゲートウェイ開放が実現すれば、民間IT企業にとっては新たな事業機会が生まれる。
日本企業にとっても注視すべき動きである。ベトナムに進出する製造業・小売業・物流企業は、法案の適用範囲次第では、自社の製品やデータに電子定名を付与し、ベトナム当局のシステムと連携する義務を負う可能性がある。コンプライアンスコストの増大は、ベトナムを生産・販売拠点として選ぶ際の意思決定に影響し得る。
2026年9月に判断が見込まれるFTSE新興市場指数への格上げとの関連では、透明で予見可能な法制度の整備はプラス材料である一方、過度な規制や官民の不公正な競争構造は海外投資家の信認を損なうリスクがある。VCCIが求める「リスクベースの規制」「民間の競争余地の確保」「段階的移行」が草案に反映されるかどうかが、ベトナムのデジタル経済の投資環境を左右する重要な分岐点となるだろう。
VCCIは今回の意見書を「初期段階の暫定的な見解」と位置づけており、今後、業界団体からのデータ集約や公安省との専門家協議を経て、さらに踏み込んだ提言を行う方針を示している。法案の最終形がどのようなバランスに落ち着くのか、引き続き注目が必要である。
いかがでしたでしょうか。今回のニュースについて、皆さんのご意見もぜひお聞かせください。コメント欄や@viettechtaroのDMでお待ちしています。
この記事が参考になったら、ぜひXでシェアしていただけると嬉しいです。より多くの方にベトナム投資の魅力を伝えたいと思っています。
ハノイ在住13年日本語で毎日配信。
✅ 個別銘柄の詳細分析 ✅ FTSE格上げ関連速報 ✅ 現地だからわかるリアルタイム情報
👉 月額980円でメンバーシップに参加する
出典: 元記事












コメント