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ベトナム政府が構想してきた国内カーボンクレジット取引所の試験運用が、度重なるスケジュールの延期を経て、ついに2025年6月中にも開始される見通しとなった。農業・環境省(旧・天然資源環境省から再編)が正式に発表したもので、世界的な脱炭素の潮流の中、ベトナムが炭素市場の制度整備に本格的に乗り出す重要な一歩である。
何度も延期されてきたカーボン取引所構想
ベトナムにおけるカーボンクレジット取引所の設立構想は、2022年頃から政府内で具体的な議論が進められてきた。当初は2025年前半までに制度設計を完了し、パイロット運用を開始する計画であったが、法的枠組みの整備や関連省庁間の調整、さらには国際基準との整合性の確保といった課題が山積し、スケジュールは何度も後ろ倒しにされてきた経緯がある。
今回、農業・環境省が「6月中の試験運用開始が可能」との見解を示したことは、制度面でのボトルネックがかなり解消されつつあることを示唆している。ベトナムは2021年のCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)で「2050年までにカーボンニュートラルを達成する」という野心的な目標を掲げており、国内炭素市場の創設はその実現に向けた中核的な政策手段と位置づけられている。
カーボンクレジット取引所の仕組みと意義
カーボンクレジット取引所とは、企業が温室効果ガスの排出削減量を「クレジット」として売買できる市場のことである。排出量の上限(キャップ)を設定し、それを下回る排出に成功した企業が余剰分を他の企業に売却できる「キャップ・アンド・トレード」方式が国際的には主流だ。ベトナムがどの方式を採用するかは試験運用を通じて検証される見込みであるが、まずはパイロット段階として対象業種や参加企業を限定した形でスタートするとみられる。
ベトナムにとってカーボン取引所の設立には複数の意義がある。第一に、国際的なカーボンクレジット市場との接続が可能になること。現在、ベトナムの森林や再生可能エネルギープロジェクトから生まれるカーボンクレジットは、主に国際的な自主的炭素市場(VCM=Voluntary Carbon Market)を通じて海外のバイヤーに販売されている。国内に公式な取引プラットフォームが整備されれば、価格の透明性が向上し、ベトナム企業自身が取引に参加しやすくなる。
第二に、EU(欧州連合)が2026年から本格適用する「炭素国境調整メカニズム(CBAM)」への対応である。CBAMは、EU域外からの輸入品に対し、生産時の炭素排出に応じた課金を行う制度であり、ベトナムからEU向けに輸出される鉄鋼、セメント、アルミニウムなどの製品が影響を受ける可能性が高い。国内に炭素価格付け制度が存在すれば、CBAM適用時の負担軽減につながるとされている。
ベトナムの再編された省庁体制と政策推進力
注目すべきは、今回の発表主体が「農業・環境省」(Bộ Nông nghiệp và Môi trường)となっている点である。ベトナムでは2025年初頭に大規模な省庁再編が実施され、従来の天然資源環境省と農業農村開発省が統合されて新たな省が発足した。この再編は、政府のスリム化と政策執行の迅速化を目的としたものであり、環境政策と農林業政策の一体的な推進が期待されている。カーボンクレジットは森林資源と密接に関連するため、統合省体制の下でより効率的な制度運用が可能になるとの見方もある。
国際的な文脈—ASEAN各国との比較
ASEAN域内では、シンガポールが2023年にCIX(Climate Impact X)を通じたカーボンクレジット取引を本格化させ、インドネシアも2023年9月に国内炭素取引所(IDXCarbon)を開設している。タイやマレーシアも制度設計を進めており、域内での炭素市場整備は急速に進展している。ベトナムの取引所開設はこれらの動きに比べるとやや遅れた印象があるが、試験運用の開始によって「後発の利」を活かし、他国の制度を参考にした設計が可能になるという利点もある。
ベトナムは森林被覆率が約42%と比較的高く、REDD+(途上国における森林減少・劣化からの排出削減)プログラムを通じて既にカーボンクレジットの国際取引実績を持つ。2023年には世界銀行の森林炭素パートナーシップ基金(FCPF)から約5,150万ドルの支払いを受けた実績もあり、炭素資源のポテンシャルは高い。
投資家・ビジネス視点の考察
カーボンクレジット取引所の始動は、ベトナム株式市場においても複数のセクターに影響を及ぼす可能性がある。
再生可能エネルギー関連:太陽光・風力発電事業者や、それらに関連する設備メーカー、EPC(設計・調達・建設)企業は、カーボンクレジットの創出主体として恩恵を受ける可能性がある。ベトナムの上場企業では、再エネ関連の事業ポートフォリオを持つ企業群に注目が集まるだろう。
製造業・重工業セクター:一方で、鉄鋼、セメント、化学といった炭素排出量の多い業種は、将来的な排出規制強化やクレジット購入コストの発生というリスクに直面する。ホアファット・グループ(Hòa Phát Group、ベトナム最大の鉄鋼メーカー)やビナコネックス(Vinaconex)など、排出集約型の企業にとっては中長期的なコスト要因となり得る。
日本企業への影響:ベトナムに製造拠点を持つ日系企業にとっても、カーボン取引制度の導入は無視できない。特にEU向け輸出を行う企業は、CBAM対応の一環として現地でのカーボンクレジット調達を検討する必要が出てくるだろう。JICAや日本の環境省も、ベトナムとの二国間クレジット制度(JCM)を通じた連携を進めており、日越間のカーボンクレジット取引が活発化する可能性もある。
FTSE新興市場指数への格上げとの関連:2026年9月に決定が見込まれるFTSE新興市場指数への格上げに向けて、ベトナムは市場の透明性向上と国際基準への適合を急いでいる。カーボン取引所の整備は直接的にはFTSE格上げの評価項目ではないが、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資を重視するグローバルファンドにとって、ベトナム市場の魅力度向上につながる要素である。格上げに伴う海外資金流入の恩恵を最大化するためにも、環境制度の充実は重要な意味を持つ。
総じて、ベトナムのカーボンクレジット取引所の試験運用開始は、同国が脱炭素という世界的なメガトレンドに本格参入することを意味する。制度の詳細設計や本格運用までにはまだ課題が残るものの、投資家としてはこの動きを「ベトナム市場の質的進化」の一環として注視すべきだろう。
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