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ベトナムで初めてとなるカーボンクレジット(炭素排出権)の取引が成立した。2025年6月29日に正式運用を開始した炭素排出権取引所において、温室効果ガス排出枠(ハンガク=割当量)が取引され、価格はCO2換算(CO2e)1トンあたり13万6,000ドンを記録した。東南アジアの新興国として本格的な排出権取引市場を立ち上げた意義は大きく、ベトナムの気候変動対策と産業構造の転換を占う節目となる。
ベトナム炭素排出権取引所が正式稼働
2025年6月29日、ベトナムの炭素排出権取引所(カーボンクレジット取引所)が正式に運用を開始した。初日に取引された商品は「温室効果ガス排出枠(ハンガク・ファットタイ・キーニャキン)」と呼ばれる割当量ベースの排出権であり、取引価格はCO2e 1トンあたり13万6,000ドンであった。
この取引所の設立は、ベトナム政府が長年にわたり準備を進めてきたプロジェクトの集大成である。ベトナムは2021年にイギリス・グラスゴーで開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)において、2050年までにネットゼロ(温室効果ガスの排出実質ゼロ)を達成するという目標を宣言しており、カーボン市場の構築はその実現に向けた制度的基盤の要となるものである。
なぜベトナムでカーボン取引市場が必要なのか
ベトナムは過去20年以上にわたり年平均6〜7%の高いGDP成長率を維持してきたが、その成長は石炭火力発電や製造業の急速な拡大に支えられており、温室効果ガスの排出量も急増してきた。世界銀行のデータによれば、ベトナムのCO2排出量はASEAN(東南アジア諸国連合)域内でもインドネシア、タイに次ぐ規模に達しており、国際社会からの削減圧力は年々強まっている。
加えて、EU(欧州連合)が2026年から本格適用する「炭素国境調整メカニズム(CBAM)」は、ベトナムの輸出産業にとって直接的な影響を及ぼす。CBAMはEUに輸入される鉄鋼、セメント、アルミニウム、肥料、電力などの製品に対し、生産時のCO2排出量に応じた課金を求める制度であり、排出権取引制度を持たない国からの輸出品はより高いコストを負担する可能性がある。ベトナムがこのタイミングでカーボン市場を整備したことは、EU向け輸出における競争力を維持するための戦略的判断でもある。
取引価格13万6,000ドンの意味
初回取引における価格はCO2e 1トンあたり13万6,000ドンであった。この価格水準は、EU排出権取引制度(EU-ETS)における1トンあたり50〜70ユーロ前後という相場と比較すると大幅に低い。しかし、これは市場が発足直後であること、取引参加者がまだ限定的であること、そして排出枠の割当基準が緩やかに設定されていることなどを反映した初期段階の価格と見るべきである。
今後、政府が排出枠の総量を段階的に絞り込み、対象業種を拡大していく方針を明確にすれば、価格は上昇圧力を受ける可能性が高い。逆に言えば、現段階の低価格は企業にとって「準備期間」としての猶予を与えるものであり、ベトナム政府の産業界への配慮が反映されているとも読み取れる。
対象となる産業と今後のロードマップ
ベトナム政府は2022年に公布した政令(Nghị định)に基づき、電力、鉄鋼、セメント、石油化学などの大量排出業種をカーボン市場の対象として指定してきた。初期段階では国内の大規模排出事業者に排出枠を割り当て、余剰分や不足分を市場で売買できる仕組みを構築する計画である。
2028年までには国際的なカーボンクレジットとの連携(他国の排出権との相互認証)も視野に入れており、将来的にはASEAN域内のカーボン市場ネットワークへの参画も検討されている。シンガポールが先行して「CIX(Climate Impact X)」というカーボンクレジット取引プラットフォームを運営しており、ベトナムの市場がこうした域内の動きと連動していく可能性は十分にある。
投資家・ビジネス視点の考察
ベトナム株式市場への影響
カーボン取引市場の稼働は、ベトナム株式市場において複数のセクターに影響を及ぼす。まず直接的な恩恵を受けるのは再生可能エネルギー関連銘柄である。太陽光・風力発電事業を手がける企業は、カーボンクレジットの創出・売却による追加収益が期待できる。一方、石炭火力発電や鉄鋼・セメント業界の企業にとっては、排出枠の購入がコスト増要因となる可能性がある。
具体的には、ペトロベトナムガス(GAS)やペトロベトナムパワー(POW)といったエネルギー関連企業、ホアファットグループ(HPG、ベトナム最大の鉄鋼メーカー)、ハーティエンセメント(HT1)などが排出権コストの影響を受ける可能性がある。逆に、再生可能エネルギー分野に積極投資しているBCGエナジー(BCG)やREEコーポレーション(REE)などは、市場の注目を集める可能性がある。
日本企業への示唆
ベトナムに生産拠点を持つ日本企業にとって、カーボン市場の発足は中長期的なコスト構造に影響を与えるイベントである。特にEU向けに製品を輸出している製造業は、CBAMとベトナム国内の排出権制度の双方を考慮した対応が求められる。また、カーボンクレジットの取引仲介、排出量モニタリング、省エネコンサルティングなどの分野で、日本企業がベトナム市場に参入するビジネスチャンスも生まれつつある。JICA(国際協力機構)や日本の環境省もベトナムのカーボン市場整備を技術面で支援しており、日越協力の新たな柱となる可能性がある。
FTSE新興市場指数への格上げとの関連性
2026年9月に最終判断が見込まれるFTSE新興市場指数へのベトナムの格上げは、国際的な資金流入を大幅に増加させる転機となる。カーボン市場の整備は、ベトナムが単なる「安価な生産拠点」ではなく、ESG(環境・社会・ガバナンス)基準を満たす投資先としての評価を高める材料となる。欧米の機関投資家がESGスクリーニングを強化する中、排出権取引制度の存在はベトナム市場全体のアップグレード評価にプラスに働くだろう。
ベトナム経済全体における位置づけ
カーボン市場の立ち上げは、ベトナムが「世界の工場」から「持続可能な成長モデル」への転換を志向していることの象徴的な出来事である。グリーンボンド(環境債)の発行拡大、再生可能エネルギーへの投資加速、そして今回のカーボン取引市場の稼働は、すべて同じ方向を向いた政策パッケージの一環であり、中長期的にはベトナムの国際的な信用力と資金調達力を高める基盤となるものである。
ただし、課題も少なくない。排出量の正確な計測・報告・検証(MRV)体制の構築、取引参加者の拡大、市場の流動性確保など、制度を実効性のあるものにするためにはまだ多くのステップが残されている。初回取引の成立はあくまでスタート地点であり、今後の制度設計と運用の質が真価を問われることになる。
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