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ベトナムで初となる「電力直接購入契約(DPPA:Direct Power Purchase Agreement)」が正式に締結・運用開始された。契約の当事者は、タイグエン省(ハノイの北方約80km)に拠点を置くサムスン電子のベトナム工場と、ロンアン省ドゥックフエ県に立地する太陽光発電所「TTC Đức Huệ 2(TTCドゥックフエ2)」である。2025年6月1日から国家送電網を経由した再生可能エネルギーの直接売買が始まった。ベトナムの電力市場改革とグリーンエネルギー転換を象徴する、極めて重要な一歩である。
DPPAとは何か——ベトナム電力市場の構造転換
DPPAとは、電力の需要家(工場や大規模施設など)が、ベトナム電力公社(EVN)を介さずに再生可能エネルギーの発電事業者と直接売買契約を結ぶ仕組みである。従来、ベトナムでは電力の売買はEVNがほぼ独占的に仲介しており、企業が特定の発電所から直接「グリーン電力」を購入することは制度上困難であった。
ベトナム政府は2024年にDPPAに関する政令(Nghị định)を公布し、国家送電網を経由する形での再エネ電力直接取引を制度化した。これにより、大口需要家は自社の脱炭素目標に沿った電力調達が可能となり、再エネ発電事業者にとっても安定した販売先を確保できるメリットが生まれた。今回のサムスン太原工場とTTCドゥックフエ2の契約は、この制度が実際に「動き出した」ことを示す初の事例である。
なぜサムスンが第一号なのか
サムスン電子はベトナム最大の外国直接投資(FDI)企業であり、ベトナム全体の輸出額の約2割を占める巨大な存在である。タイグエン省には同社のスマートフォン・半導体部品の主力工場が集積しており、膨大な電力を消費している。サムスンは2022年にグローバルで「RE100」(事業で使用する電力を100%再生可能エネルギーにする国際イニシアティブ)への参加を宣言しており、ベトナム拠点におけるグリーン電力調達は喫緊の経営課題であった。
一方、AppleやIntel、さらには日系企業を含む多くのグローバル企業がサプライチェーン上の脱炭素を取引先にも求めている。ベトナムの製造拠点がグリーン電力を調達できない場合、将来的にサプライチェーンから外されるリスクもある。今回のDPPA締結は、サムスンにとって単なるCSR活動ではなく、グローバル競争力を維持するための戦略的判断と言える。
売電側・TTCグループの狙い
TTCドゥックフエ2太陽光発電所を運営するのは、ベトナムの大手コングロマリットであるタインタインコン・グループ(TTCグループ、上場コード:SBT傘下のTTCエナジーなど)である。TTCグループはサトウキビ・砂糖事業で知られるが、近年は再生可能エネルギー分野への投資を急速に拡大しており、ベトナム南部を中心に複数の太陽光発電所を保有している。ロンアン省はホーチミン市に隣接するメコンデルタ北部の省で、広大な平地と豊富な日照量を活かした太陽光発電の適地として注目されてきた。
DPPA制度の下では、発電事業者はEVNへの売電価格(FIT価格の期限切れ後は不透明感があった)に依存せず、需要家と長期固定契約を結べるため、事業の収益安定性が大幅に向上する。TTCグループにとっても、サムスンのような超大口需要家との直接契約は極めて魅力的なディールである。
ベトナム電力改革の全体像
ベトナムは2021年のCOP26で「2050年までにカーボンニュートラル達成」を宣言しており、エネルギー分野の構造転換は国家的課題となっている。第8次電力マスタープラン(PDP8、2023年承認)では、2030年までに再エネ比率を大幅に引き上げる目標を掲げているが、これまでは太陽光発電の急拡大に送電インフラの整備が追い付かず、出力抑制(カーテイルメント)が頻発するなどの問題が指摘されてきた。
DPPAの導入は、こうした課題に対する制度的な解決策の一つである。需要家と発電事業者が直接契約を結ぶことで、送電ロスの最適化や需給マッチングの効率化が期待される。また、グリーン電力証書(REC:Renewable Energy Certificate)の発行・取引とも連動し、企業がScope2(購入電力由来の温室効果ガス排出)の削減を証明できる仕組みも整備されつつある。
投資家・ビジネス視点の考察
◆ ベトナム株式市場・関連銘柄への影響
DPPA制度の本格運用開始は、再エネ関連銘柄にとって中長期的なポジティブ材料である。TTCエナジー関連銘柄のほか、太陽光・風力発電を手掛けるBCGエナジー(BCG)、ベトナム電力総公社傘下の発電会社群にも波及が見込まれる。一方、EVNの独占的地位が相対的に低下する可能性があるため、電力小売マージンへの影響には注意が必要である。
◆ 日本企業・ベトナム進出企業への影響
日系製造業にとって、DPPAの実用化は極めて大きな意味を持つ。トヨタ、パナソニック、キヤノンなど、ベトナムに大規模工場を持つ日本企業の多くは、グローバル本社の脱炭素方針に沿った電力調達を迫られている。今回サムスンが先鞭をつけたことで、日系企業もDPPA活用に動く可能性が高い。特に北部のハイフォン、バクニン、タイグエン周辺や南部のビンズオン、ドンナイに集積する工業団地では、DPPA対応が工業団地の競争力を左右する新たなファクターとなるだろう。
◆ FTSE新興市場指数格上げとの関連性
2026年9月にも決定が見込まれるベトナム株式市場のFTSE新興市場指数への格上げにおいて、ESG(環境・社会・ガバナンス)関連の制度整備は間接的だが重要な評価ポイントとなる。DPPAのような市場メカニズムの導入は、ベトナムが「制度の透明性・予測可能性を備えた投資先」であることを国際投資家にアピールする材料となり得る。格上げが実現すれば、グリーンファイナンスやESGファンドからの資金流入が加速し、再エネセクターの評価向上にもつながる好循環が期待される。
◆ ベトナム経済全体のトレンドにおける位置づけ
ベトナムは「チャイナ・プラス・ワン」の最有力候補として世界の製造業サプライチェーンの再編で恩恵を受けてきたが、電力不足と電力品質の問題が成長のボトルネックとして繰り返し指摘されてきた。DPPA制度の本格始動は、電力供給の多様化と安定化に寄与するだけでなく、「グリーンサプライチェーン」を求める欧米企業のベトナム投資を後押しする効果も持つ。ベトナムがアジアの製造ハブとしての地位を一段と強固にするうえで、今回の第一号契約は象徴的なマイルストーンである。
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